今更ながら考えてみる~H”って一体何だったの?


◇という謎のタイトルで、「オイオイ、暇?人の野郎、今更なにを言ってんだろうね」という声が聞こえてくるような気がしますが、とにもかくにも、このH”(エッジ、エッヂ)というものが、当時の大衆、当時のDDIポケットユーザ、DDIポケットの歴史、そしてPHSの歴史に与えた影響について、本当に今更ながらですが、考えてみようというのが今回のお話だったりするわけです。で、キリがいいので30回記念&独立一周年記念テキストにもしちゃおうというモノグサぶりを発揮してみたりして(笑)。

◇さて、H”がリリースされたのは、1999年7月といいますから、なんともう3年以上が経ってしまっていることになります。当時私は今ほど熱狂的なDポファンではなかったわけで、「おや、おもしろい新企画が始まるのかなぁ」という程度にしか思っていませんでした。その当時と言えば、だんだんと一般のPHS離れが本格的に表面化してきていた頃で、当時の私にとっても、特に思うところなければそろそろ携帯にでも変えるか、とまで思われていた頃でした(悪い子でした;笑)。

◇話は少しさかのぼり、その直前、1999年4月になりますが、ドコモPHSがギャランティ方式で64kbpsのデータ通信サービスを開始していました。当時は完全にDDIポケットに押され、ドコモに営業譲渡されてしまったNTTP、しかしながら、いち早く64kサービスを開始してこれで起死回生か、と思われたのもつかの間、なんとその64kは、非常に限られたエリアでしか使えないもので、期待していたユーザたちをがっかりさせたものです。そして下火になっていたPHSの復権か、とも思われたそのサービスは、結局PHSに対するマイナスイメージを払拭するほどの影響力は持っていなかったということになるでしょう。

◇一方、ほぼ同時期に、今度はアステルが、PHSが移動中に使えない、という評判を払拭すべく、「スーパースムース」という技術を実用化しました。これは、一つの端末に無線機を二台内蔵し、一台で通信中にも常にもう一台の無線機でハンドオーバ先基地局の候補を検索し続け、実際にハンドオーバが発生するときの数秒の基地局検索のための通信中断時間を排し、スムーズでとぎれない通信と、移動中の安定性を大幅に向上させる新機能でした。ところが、この機能についても、あまりに知名度が低すぎ、世間の耳目を集めるには至りませんでした。こうして、次々に登場した新技術は、世間にさげすまれていたPHSの名をあげることはほとんどできなかったのです。

◇ところがまさにその直後、DDIポケットが大きなリリースを行いました。そう、言わずとしれた「H”」のサービスインです。H”は別称「ハイブリッド携帯」と名乗り、センセーショナルに世の中に放たれ、大きく話題を集めました。しかも、H”は単にセンセーショナルであっただけではなかったのです。そう、もうみなさんもご存じの通り、H”は全機種64kbpsでのデータ通信をサポートし、さらに、無線部の二重化によって基地局の先読み検索機能も搭載し、アステルとほぼ同等のハンドオーバ機能も標準で搭載することとなったからです。速い、切れない、そして安い。当時のすべての携帯電話をしのぐその高機能は「ハイブリッド携帯」を名乗るに十分なものでした。そしてなにより、これによってPHS界に多くの目が向けられたというのも事実でもあるのです。

◇ここで見たとおり、H”は世間のPHSに対する偏見を払拭するに十分な機能を持っていました。しかも、そのすべてが全国一斉に提供されたこと、これがなによりも大きなインパクトを持っていました。高度にインテリジェント化されていたDDIポケットのネットワークがここでついに本領を発揮したのです。発売一年を待たずにH”端末出荷数は100万台を超え、PHSとしては異例のヒットとなりました。

◇ところが、ここで考えてほしいことがあります。DDIポケットは当初からH”を「ハイブリッド携帯」と呼び、決してPHSと呼ばなかったということです。つまり、表面的にはH”はPHSではなく、また実際にそれを目にする人のほとんどにとってもそれはPHSではなかったということです。しかし、実際にはそれは紛れもなくPHSであり、PHSというシステムが大きな変化を遂げた瞬間であったことには間違いはないのです。にもかかわらず、DDIポケットはH”がPHSであると言うことをひた隠しに隠していました。これは確かにある程度の御利益がありました。PHSを馬鹿にしていた人たちの目を振り向かせる、ということに成功したからです。

◇しかし、世間の注目を浴びたのはPHSではなくハイブリッド携帯だったのです。そうです、DDIポケットはここに来て非常に優れたシステムをPHSで作り上げることに成功していながら、その成功をPHSという名に付すのを拒んでしまったのです。こうして、ハイブリッド携帯はある程度の市民権を得たにも関わらず、そのシステムの真の姿であるPHSという方式に対する偏見はそのままに残されてしまいました。

◇私個人の考えで言わせてもらえれば、この戦略はDDIポケットの、そしてPHSの歴史上の、大きな失敗であったのではないかと思います。なぜなら、H”がリリースされ、注目を浴び始めてからまもなく、こういう声がちまたにはあふれていたからです。「H”ってすごいんだよね・・・え、070・・・ピッチなの?なんだ、ピッチなんじゃん、だせー」。そう、PHSがPHSだからというだけの理由でさげすまれ馬鹿にされるトレンドは、H”がリリースされ、大ヒットを遂げた後でさえそのままの形で残されていたのです。すなわち、DDIポケットの大罪とは、PHSという名前にすべてのマイナスイメージを着せて生け贄として捨て去ってしまったことなのです。

◇何度でも言いますが、PHSは非常に優れた通信方式です。それは、まさに固定ISDN回線を持ち歩くのと同等ともいえるほどの性能を持っています。その高性能さはエリアや移動性の犠牲の元に成り立っていたのですが、まさにこの二つの要因によってPHSは大きなマイナスイメージを背負ってしまいました。しかしながら、元々高性能基地局で広いエリアを持っていたDポが高速ハンドオーバを取り入れることでこれらの不利な点を払拭し、PHSという方式に対する世間のイメージを大きく変える可能性もあったはずなのです。考えてみれば非常に残念なことと言わざるを得ません。

◇また、話は少しそれてしまいますが、H”リリースでは確かに64kデータ通信と高速ハンドオーバという大きなシステムの変革がありました、が、H”リリースから約2年(AirH”リリースまで)の間、DDIポケットは、それ以外の大きなリリースを行ったでしょうか?もちろん、「feelH”があったじゃん」という声が聞こえてくるのはわかります。しかし、私の考え方では、feelH”はPHSの進化ではないのです。そう、H”リリースからしばらくの間、DDIポケットのリリースは、「端末指向」になっていたような気がするのです。システムそのものにはさほど大きな手を入れず、単に新機能の端末を用意してユーザの注目を集めようとする・・・つまり、進化の止まったPDC携帯電話が行っているのと全く同じことをやっていたのです。DDIポケットは、一時的ではあるにせよ、PHSの進化を止めてしまったかに感じられました。

◇なぜこのようなことになってしまったのか、確かに理由が考えられないわけではありません。当時はかなり赤字もかさみ、つらい状況にあったDDIポケットとしては、PHSのイメージアップを行うための販促戦略はリスクが大きすぎたのだと言うことは言うに及ばず、なにより当時はまだPHS他社もそれなりに元気で、まだまだ十分DDIポケットの強力な敵となり得たというのもあるでしょう。そのような状況でPHSの名前を売るよりも、他社から抜け駆けして「PHSではない何か」であることを訴えたほうが遥かにリスクは小さくできたという訳です。この抜け駆けによりドコモ・アステルは「まだPHS」で、Dポは「ハイブリッド携帯」となり、PHSという名前につきまとうマイナスイメージを逆に利用して競合他社を追い落とすことに成功したわけです。しかし、ここからDポの本当につらい戦いが始まってしまったわけです。そう、ブランド感と端末の高級感で人気となっていた携帯電話そのものと大きく競合してしまうことになってしまったのです。

◇こうなると、Dポとしても少しでも高級感のある端末をリリースして端末競争に勝たなければなりませんし、あれやこれやのおまけやグッズをつけてブランドイメージを出したり、という方向に注力していくことにならざるをえなかったということでしょう。つまりこの時点で、Dポは一時的にではあるにせよ、PHSという通信方式が持つ数々の性能を無視して拡販をはかってしまったのでした。そしてご存じの通り、最終的にはfeelH”の大失敗でDポの外見重視音声端末指向は終焉を遂げ、あまつさえ親会社KDDIよりデータ通信重視の方針への転換勧告まで突きつけられてしまう羽目になってしまったのです。

◇このように、PHSというものを一般的に考えてみると、その本来持つ潜在能力を世間に知らしめる可能性さえあったH”、しかしそれは結果として、PHSに対する偏見を一部増長してしまったのではないかとさえ思われるのです。しかし、私はここでネガティブなことばかりをあげ尽くしましたが、それは、世間のH”ファンサイトがH”の優れた面を徹底的に語ってくれているから。そう、こうやって、根強いファンを作り上げてしまうほど、やっぱりH”は革新的ですごいものだったんです。

◇そして今、H”はもっと先へ進もうとしています。H”はまさに今、本当の意味でPHSの可能性を切り開き始めたばかりなのです。そんなH”の行く末を、今後もじっくりと見守っていこうと思う私も、すばらしいH”に魅了されてしまったファンの一人だったりするわけです。




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