使える・使えないケータイはこれだ!


◇いきなりなぞなタイトルで、相変わらずこのコラムはまったく持って方向性がわかりませんね(苦笑)。今回のお話は2002年7月28日の「今日の一言」のネタの焼き直しです。って、ばらしてどーすんの。

◇と言うことで、「お、意外と使えるね」とか「こりゃ使えねーな」とか、そういう時に口にする言葉、「使える」ですが、これはいったい何をさして、使えるだのと言っているのだろうか、を考えてみるわけです。

◇使える、は、使うことができる、って言う意味ですね、元々は。で、実際には「これ使えるね」と言った場合、「これなら使いつづけていけそうだなぁ」と言う意味合いになっているようです。さらには「役に立つ」とか「優れている」とか言う意味も含んできているようですが、さてさて、世の人々はこれをどういう基準で使っているのか・・・これがなかなかなぞなのですよ。

◇元に立ち返って考えてみましょう。目の前にペンがあります。向かいに人がいます。その人が「そのペン使えるよ」と言ったとします。これだけで、すぐに3通りくらいの解釈は思い付けるのではないでしょうか?一つ目は、上で言ったような「書きやすくて役に立つよ」と言う意味、次に「ちゃんと機能して使える状態だよ」と言う意味、そして「私(向かいの人)ならこのペン使いこなせるよ」という意味を感じ取ることができます。まだいろんな解釈があるでしょうが、とにかく、その基準が問題です。目の前にあるペンが、もし修正ペン内蔵型ペンだったとしましょう。これはなかなか便利そうです。また、上であげたどの意味でも通用しますが、一つ目の意味なら、一目瞭然でしょう。二つ目の意味だとすると、機能していない原因として、ひょっとすると修正ペン側の不具合も考えられます。三つ目だとすると、修正ペン機能はあるけど使わない人もいるように聞こえてきます。しかしよく考えて見れば、「このケータイ使えるよ」と言うときの使える、は、上の三つの条件をすべてそろえなければならないことにお気づきでしょうか?

◇つまり、「使える」条件は、1:有益な機能を備えている、2:すべての機能が利用可能な状態にある、3:そして利用者がそれを使いこなすことができる、この三つの条件がそろう必要があるということです。たとえば先ほどの修正ペン機能付きペンを考えてみましょう。1はOKですね。2についても、まぁ買ったばかりなら大丈夫でしょう。ところが、もし、内蔵されている修正ペンが、誤使用を防ぐために外すのが困難な特殊キャップで保護されていたとしたら?使うたびにややこしい手順で修正ペンキャップを外さなきゃならないわけですから、3の条件を満たしているとは言い難いですよね。つまり、とたんに「使えない」ペンになってしまうわけです。じゃあ、もし修正ペン機能がついていなかったら・・・これは、3の困難が解消されているのですから、「使える」ペンです。・・・キツネにつままれたような気分になっていることかと思います(苦笑)。

◇シンプルなペンなら「使える」という評価が得られるのに、そこに便利な修正ペン機能をつけたとたんに「使えない」評価になり得るというのはちょっとした矛盾に見えてしまいますね。しかし、ここでコストについて考えれば、話がわかりやすくなります。どんなものでも、基本的には機能が余計につくほど比例してコストは上がるものです。多少例外はあるでしょうが、ここではそういうものとして話を進めてしまいます。たとえば、普通のペンが100円だったとしましょう。修正ペン付きペンが200円とします。しかし、ここで修正ペン機能が使いづらくて、ほとんど使わない状態だったとすると、差額の100円は丸損と言うことになります。ここにきて、「なんだよこのペン、(100円も余計に払ったのに)使えねーな」となりますよね。これが、機能が増えることによって「使えない」になってしまう可能性についての矛盾に対する回答であるわけです。ケータイも同じです。結局使いもしないものに対してお金を払う必要が生じてくると、後で気づいて「使えねー」と言いたくなります。特に、ケータイと言うものは使おうが使うまいが毎月お金を払うからこそ、です。

◇たとえば、ユーザ定義のアプリケーションを実行可能なケータイがあったとします。もちろんユーザ定義が可能、と言うことなのですから、3の意味での「使える」、つまり「完全に使いこなす」の条件を満足するには、ユーザ自身がアプリケーションを定義して利用することです。もちろんここまでできる人はほとんどいないかと思います。結局はコンテンツプロバイダが作ったものを利用するだけですから、厳密にはこのユーザ定義アプリケーション実行機能搭載ケータイは「使えないケータイ」です。ただ、このケータイの機能を狭めて、「定義済みアプリケーションのダウンロードによってさまざまな機能を実現できるケータイ」と位置づければ「使えるケータイ」に十分なり得ます。カメラ付きケータイも同様です。ほとんどカメラを使わない、撮っても利用しない、送る相手もいない、なんてのは3の条件で使えないケータイになります。ましてや、送ったつもりなのに送れていない、なんてのは2の条件で即刻「使えない」となるわけです。某携帯電話キャリアが他社の真似をして始めたカメラ付き携帯が、サービス開始直後からしばらくの間この問題を抱えて世間をにぎわしていたのもまだ記憶に新しいところでしょう。

◇また、3が不満足になる原因として「高料金が足かせになって使えない」のでは本末転倒もいいところ。現在ほとんどの携帯キャリアがパケット課金を行っていますが、あまりの高料金のために自在に使いこなせない人も多いようです。また、ほとんどのコンテンツが月極課金のため、気軽に使うことができないというのも問題があるようです(ちなみにH”LINKはほとんどのサービスが回数課金と月極課金の両方のモードを持っています)。情報サービスの基本料に300円などを必要とすることに対して、300円分の価値を得ることができるか、これがもし十分得られないのであれば、そもそも「使えないサービス」と言うことになります。しかし、こういう部分での「使えない」は、実際に本当に使えるものを使ってみないと気づきにくいところでもあるようで、ほとんどの人が「使えない」サービスを使わされていることに気づいていないようです。

◇だからといって、ここで私が「DDIポケットのサービスや端末は使えるよ、ためしてみて」と言いたいのではありません。もちろん、DDIポケットにも使えない部分はあります。それは、エリア。随分広がりましたがまだ携帯には及ばないわけで、そのエリア外に出れば、2の条件で「使えない」となってしまいます。しかしこれについても、先ほどのユーザ定義アプリケーション機能と同様で、「都市部でのみ通信が可能な電話」と定義し直してしまえば、とたんに「使えるケータイ」になることができます。一方、それ以外でDDIポケットの「使えない」ポイントは、意外なほど少なくなっています。それは、そもそも端末に余計な機能をごてごてと盛り込まないこと、ほとんどのサービスが基本料無料であること、が効いています。たとえばカメラにしても、外付けにしたことで、使わなければ買わなければいい、使うとき以外は外しておけばいい、と言うことで、某社のように新機種に半ば無理矢理内蔵されてしまっていて、リソースと購入資金の無駄遣いとなってしまっていることにくらべれば、はるかに「使えない確率」が低くなっているわけです。

◇原点に立ち戻って考えてみましょう。携帯電話は「電話」です。離れた場所と会話をするための道具です。いろんな場所で使えることが重要ですから、もちろんエリアは重要でしょう。一方、相手との十分なコミュニケーションのためには電池寿命と音質と低コスト性も必要です。この二つのセンテンスはトレードオフ、つまりあちらを立てればこちらがたたず、と言う関係です。あちら(エリア)を立てたのがPDCなどの携帯電話であり、こちらを立てたのがPHSです。どちらが「使える」かは、それこそ使う人によって決まってくるものであり、どちらかに決めることはできないはずです。にもかかわらず、エリアが広い=使える、と短絡的に考える人が非常に多いようです。これが第一の勘違い的常識。これが基本でしたが、いつのまにかそれぞれに、高発色のLCDや豪奢な音楽再生機能などが次々につけられていきました。これらは2の条件はともかく1の「役に立つか」どうかでも微妙であるのに加え、3の「使いこなす」の意味ではほとんど使えていないといって過言ではないでしょう。なぜならこれらは電話という道具に対しては何の寄与もしていないわけですから。にもかかわらず、最近のユーザはこんな付加的な部分にばかり気を取られているように見受けられます。すなわち、6万色LCDのケータイは「使える」、4千色は「使えない」などと、短絡的にしか考えていないようです。これが第2の勘違い的常識。そして、実際に役立ちそうな機能として情報サービスやカメラや電子財布機能などが加えて取り上げられますが、ほとんどのユーザはこれらが搭載されていることが「使える」条件だ、と短絡的に考えます。これが第3の勘違い的常識。

◇これらの三つの勘違い的常識は、共通して、「オーバースペック」という言葉(の意味)を知らないがために生まれる勘違いです。「大きいことはいいことだ」とはずいぶん古い宣伝文句ですが、まだまだこんな古臭い考え方しかできない人の方が多いようで、いつまでたっても抜け出せないようです。そういえばパソコンもそうですね。たとえば、2002年7月の状況で(と言い切るといつか風化するんだろうなぁ;苦笑)、ほぼ同じ値段で1GHzのCPUのPCと2GHzのCPUのもの、皆さんならどちらを選びますか?私なら迷わず1GHzのものを選びます。2GHzのCPUは周辺の環境に比べて明らかに速すぎで、消費電力も大きいし、何よりHP作成とメールやインターネット閲覧程度にしか使わない私には絶対に不要なスペックです。にもかかわらず、猫も杓子も大きな数字を好み、ともすればクロックアップなどというわけのわからぬ宗教じみた儀式まで流行っているようで、これでは、上に挙げた勘違い的常識がまかり通るのも無理はない、と納得してしまいます。

◇世間一般で「使える」と言われるケータイは本当に「使える」のか、「使えない」と言われるケータイには本当に使いこなす道はないのか、みんなそれぞれがしっかり考えてくれれば、それぞれがぞれぞれの手に一番「使える」ケータイを持つことが出来るのに、もったいないなぁ・・・と本当に思うんです。と言うことで、今回のお話はコラムでぃーぽ16号「なぜにPHSは~」と内容は少々かぶってしまいましたが、みんながそれぞれ自分に本当に必要なのは何なのか、ときちんと見直してくれれば、日本のモバイル事情ももっとよくなるのになぁ、という愚痴コラムなのでした。




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