PHS端末変遷の歴史


◇こんにちは、PHS-MOBILE.COM管理者暇?人です。さて、今回は、私がこれまで使ってきたPHS端末がどのように変わってきたのかをDDIポケットのサービスの歴史とともにご紹介いたしましょう。

第一回でもご紹介したとおり、初代端末はPS-601でした。この端末、シンプルな割りには作りはしっかりしていて、なかなかの名機です。今の携帯電話から見るとずいぶん不格好ですが、フリップ式で、当時としてはかなり「おされ」なスタイルだったような記憶があります。電話帳は百件、もちろん、当時は漢字やメールアドレスなんて無縁の時代、カタカナ12文字の名前に電話番号1件という構成の電話帳でした。また、伸びないアンテナも多かった中、(PHSとしては)珍しいホイップアンテナ採用で感度も抜群です。ただ、今から見ればびっくりするほど重い端末でもありました。

◇お次の端末は、またも京セラ、PS-801です。機種交換は98年3月、15ヶ月間の役務を果たしたPS-601と交替でやってきたのは、同じくフリップタイプの端末でした。15ヶ月と言えば情報業界では一時代。この間に、DDIポケットはPメールというショートメッセージサービスと、α-DATAというデータ通信サービスを開始していました。ただ、当時はさほどデータ通信には興味を持っていなかったので、使った新機能と言えば、友人とのPメールの交換などをしてしばらく遊んだというくらいのものでした。サイドにマルチファンクションボタンが三つ付いていたおかげで操作性も申し分なく、電話として最低限の機能で見れば、もっとも使いやすかった端末と記憶しています。

◇99年4月、PS-801と交替でやってきたのは、またまた京セラのPS-T15でした。これもまた私の中の名機の一つです。13ヶ月の間にPHS業界も大革新が起こっていました。データ通信統一規格PIAFSのサービスインで、携帯端末最速の32kbpsデータ通信が始まっていたのです。これに伴って、DDIポケットPHSのメール機能も大幅に機能アップしていました。全角1500文字送信&Eメールの送受信が可能なPメールDXの開始です。これはそれまでのPメールに比べるとびっくりするほど便利な代物でした(この時代から2001年2月までPメールはその存在意義をほとんど失った状態が続きます)。ちなみに、T15ですが、これはそれまでの私の機械とは違い、初のストレートタイプでした(当時手頃なフリップタイプがなかっただけですが・・・)。漢字変換機能ははっきりいって「おまけ」の域を出ない出来で、PDXのメール打ちに苦労した記憶があります。また、上下・左右キーが離れていたため、使いにくい点は否めませんでした。その反対に、無線特性はさらに進化を遂げていました。非常に電波の弱い場所(私の実家など:そのうち別コラムで紹介します)でもかなり安定して通話ができましたし、また、都心の乱反射の激しい地域でも非常に安定した特性を示しました。私的には、残念ながら今は亡き(笑)T15がDDIポケット端末史上最高の安定性を持つ端末であるように思われます。

◇このころからPHS各社は全く別路線を歩み始めていました。と言うのも、経営状態の悪化したNTTパーソナルとアステル系各社が他通信系会社に吸収されたというのが、もっとも大きな原因かもしれません。そんな中、99年7月、またもDDIポケットPHSに革新が起こっていました。-H"の登場です。DDIポケットは、悪イメージのついたPHSと言う名を捨て、ハイブリッド携帯-H"と名乗ることを決めましたが、変わったのは名前だけではなく、サービスも大幅に進化していました。ご存じツインウェーブ機能と64kbpsデータ通信α-DATA64です。残念ながら、私は10ヶ月縛りのおかげで、翌2000年4月まで機種交換をしなかったのですが、そのときやってきた機種が、初の非京セラ機、東芝製DL-S200ハイパーキャロットです。これもストレートタイプで(当時フリップ機が非常に減っていました)、左横のポチボタン(笑)に惹かれて買ったようなものです。実はT25BlueLightが欲しかったのですが、知る人ぞしる全国的なT25品不足で変えなかったために仕方なく(失礼!)S200にしたという記憶があります。もちろん、T25をさけたのにはもう一つ理由があります。どうも、外観的に、T15から進化していない節が見て取れたのです。せっかくの新機種で、またあのひどい操作性を味わうのか・・・と思うと、漢字辞書の充実を売りにしたS200は非常に魅力的でした。さて、その実力は、「んー、確かに、移動中でも切れない、かなぁ~」という位のものでした。逆に、ツインウェーブ機能の弊害か、アンテナ密集&電波乱反射環境では非常に不安定でした。その上、それ以外での電波特性もT15より悪く、実家などでは窓際に張り付いていないとまともな通話もできませんでした。しかし、それを埋め合わせるほどの、優れた操作性がありました。漢字変換のスマートさはもちろん、左のポチボタン(笑)の使い方が絶品で、メール打ちなら最高の評価を与えてもいい気がします(最近の機種に比べると多少画面が狭いですが)。また、2000年夏には64kUSB接続ケーブルを購入し、初めてPHSでインターネット接続をしたのがこのS200でした。この、データ通信の開始をきっかけに、私のDDIポケットに対する評価はうなぎ登りに上がっていくことになります。そう言う意味でも、S200は私にとって大きな転回点となる機種でもありました。

◇さて、ここからはもはやご存じの方の方が多くなるかもしれませんが、DDIポケットは同年秋に、新端末構想「feel-H"」を打ち出しました。これは、端末のマルチメディア化を成し遂げる「端末の進化」を目指したサービスでした。まず、Pメールの上位互換ライトメール、Eメール自動受信機能、モバイルカメラ「Treva」への対応、音楽配信SoundMarketへの対応、PCM音源12和音着信音楽「feelSound」、等の標準装備が決まっていました。このような高機能化は、提供各社に様々な独自機能の盛り込みを許しました。初のfeel-H"端末をリリースした三洋は、後発機で音楽配信SoundMarket用プレイヤーを端末に内蔵しました。東芝は、驚異的な大容量メモリを売り出しました。パナソニックはメール保存用の外部メモリSDメモリカードスロットを標準装備、最後発の京セラはピクチャーインメール、アニメ作成機能などマルチメディアにターゲットを絞りました。さて、私は、各社出そろった2月に10ヶ月縛りが切れます。ゆっくりと選べる、と言うものですが・・・、まず、カラー化に伴う電力消費の増加が明らかでしたので、常に画面表示をするストレートタイプは電池の持ちの問題からパスでした。そうなるともはや機種は三洋J90か、京セラPS-C1と言うことになるのですが・・・。最後の決断は、やはり経験でした。それまでの京セラ製PHSの高い性能を買い、PS-C1とする事にしました。あとでJ90を使ってみましたが、この選択は間違っていなかったようです(バグは多いですが)。操作性はT15からは想像もつかないほど向上し、DDIポケットのコミュニケーションプラザで触らせてもらった他3機種と比べても、最高の出来ともいえるものでした。さらにT15の電波特性も受け継ぎ、実家でも安定した通話ができました。さらに、S200より遙かに優れたツインウェーブ機能。東名高速を100キロで走っている車の中で全く途切れること無く通話が維持できました(助手席でですよ!運転しながらの電話はだめ!!)。残念ながら、アンテナ密集&電波乱反射環境ではT15の安定性にはかないませんが、それ以外では上々の出来でした。1回のバグフィックス修理を経て、今ではすっかり私の愛機です。スタイルも最高!!かも。

◇と、なぜか終わらずに続くのが謎なところ。2001年2月から、DDIポケットはほぼ毎月のペースで常識破りのサービスを赤字覚悟で(もうやめて~、つぶれてもらっちゃ困るんです~)打ち出してきました。詳しくは省略しますが、その極めつけが6月にスタートのAir-H"です。NTT依存網では事実上不可能と言われていたインターネット常時接続を実現(注:本格サービス開始は2001年8月)してしまったのです!!これには、体が勝手に動いていました。6月2日土曜日、なぜか新しい電話番号を持っていました。Air-H"カードと一緒に・・・。そう言うわけで、今現在、2回線持ちです。ちなみに、Air-H"の使い心地ですが、今のところ快適そのものです。確かに64kよりは多少レスポンスが遅いですが、費用対効果で見ると今までの数倍の価値があると思います。128kbpsのサービスも始まるそうで、そうなったら三回線持ちの可能性も・・・?


戻る